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関東近郊で見られた旧客鈍行

関東近郊でも上野発着以外にも、わずかながら旧型客車による鈍行列車が見られていました。

321列車

高崎9時49分→長野12時52分(1980.10改正)。

信越本線の客車列車です。この列車は上野からの2321列車を受け継いでいて、まる1日をかけて遠路新潟に向かう運用の一部です。

321列車高崎 321列車高崎
321列車(1981年01月高崎駅にて) 321列車(1981年01月高崎駅にて)
●上野からの2321列車が高崎駅に着くと、先頭の機関車と高崎の付属編成6両、郵便車と荷物車が切り離されて5両だけホームに置かれます。
●しばらくすると後ろに郵便車と荷物車が戻ってきます。この先の牽引機はEF62になります。


この先急勾配の碓氷峠が控えているため、なるべく機関車に負担の低い客車が使われる傾向がありました。(上記の両端はオハフ45)1978年10月改正以前には軽量客車の姿も見られています。


1980年05月03日、ゴールデンウイーク初日の321列車に乗車しましたが、この時代は新幹線も高速道路もなく関東と信州を結ぶ移動は信越本線が主でした。

高崎駅では、東京からの直通特急・急行は超満員で乗車は不可能で、放送では停車している長野行普通列車(321列車)に乗車してくださいと執拗に案内してきました。

このため、最初はガラガラだった5両の客車は、あっという間に超満員となり、デッキから乗れない人達は空いている窓から乗車となる事態になりました。

大東亜戦争終戦から35年経過していましたが、その時代を生活していた人がかなり残っていたこともあるかも知れません。

この混乱で、発車時刻になっても発車することはできず、ついには人がホーム側に乗りすぎて真ん中の客車の台車のバネが傾いてしまいました。

国鉄側も色々と考えたのでしょう、最後尾に1両客車を増結して、そちらに客を乗せて混雑分散することにしました。

結局、発車したのは、1時間半以上遅れてでした。発車してしばらくすると車内から歓声と拍手が上がったのを今でも覚えています。

326列車

長野15時04分→高崎18時30分(1980.10改正)。

信越本線の客車列車です。上の321列車の対となる列車です。篠ノ井で松本方面から来る2825列車から乗り継ぐこともできました。


326列車御代田〜信濃追分
326列車(1982年08月小諸駅にて) 326列車(1982年08月御代田〜信濃追分にて)
●上の教訓からでしょうか、客車は1両増結されていた状態でした。

632列車

原ノ町6時10分→水戸9時54分(1980.10改正)。

常磐線の水戸客貨車区の入庫運用です。当時の水戸発着の平方面の客車列車は下りの433列車(水戸6時25分→平8時12分)の1往復だけでした。

引き上げる632列車 632列車スハ42車内
引き上げる632列車(1982年05月水戸駅にて) 632列車 スハ42車内(1982年05月原ノ町駅にて)
●632列車は通勤通学時間帯の列車で10両編成となっています。
水戸客貨車区
水戸客貨車区(1982年05月水戸駅にて)
●この当時、水戸駅の南側には客貨車区が広がっていました。

2722列車

水戸11時25分→小山12時55分(1980.10改正)。

水戸線にも客車列車が4往復走っていました。

2722列車水戸駅 水戸線を走る2722列車
2722列車(1982年05月水戸駅にて)

水戸線を走る2722列車(1982年05月)

●2722〜2723列車は旅客車6両と郵便荷物合造車1両の7両編成でした。

2723列車

小山13時15分→水戸14時45分(1980.10改正)。

上の2722列車が小山で折り返す列車です。

EF81 97小山
EF81 97(1982年05月小山駅にて) 2723列車(1982年05月小山駅にて)
●水戸線の客車列車の牽引機は内郷機関区のEF80かEF81でした。首都圏でEF81が旧型客車を牽引する唯一の例でした。
オハフ33 2291(1982年05月小山駅にて)
●この当時の水戸客貨車区の所属客車は35系の比率が高かったです。1982年11月改正で尾久の43系が流れ込み35系は廃車か転属を余儀なくされましたが、この客車は福知山に転属しました。

2724列車

水戸14時18分→水戸16時01分(1980.10改正)。

昼過ぎに走る列車です。上野からの223列車から乗り継ぐことができました。

2724列車(1982年09月撮影) 2724列車(1982年09月撮影)
●2724〜2725列車は旅客車9両という長い編成でした。時間帯からか通学輸送に対応してのことだったのでしょうか。
2724列車 スハ42 2129車内(1982年09月撮影)

2724列車 スハ42 2129ボックス(1982年09月撮影)

●この時の編成は43系の中で唯一の35系客車でした。車内は似非近代化改装とも言える、窓枠はアルミサッシですが壁等はペンキベタ塗りでした。
小山機関区
EF81 302(1982年09月川島駅にて) 小山機関区(1982年09月)
●川島駅にいた貨物列車の先頭は関門から来たステンレスのEF81 302でビックリしました。数年だけ関東地区に来ましたが他のEF81と同様にローズピンクに塗られていました。
●301号機と共に内郷に配属され、水戸線の旅客列車を牽引したこともあるみたいです。水戸線も東北線と常磐線を短絡する路線として貨物列車も走っていました。
●小山到着直前に小山機関区が見えます。かつては蒸気機関車の機関区でしたが、この当時は機関車無配置で機関車の留置線という感じでした。
●ここの機関区は、京都の梅小路機関区と博物館誘致を争いましたが、都心から距離があるせいか落選してしまった歴史があります。

2725列車

小山16時15分→水戸18時01分(1980.10改正)。

上の2724列車の折り返しです。

EF80 49小山駅 スハフ42 2306小山駅
EF80 49(1982年09月小山駅にて) スハフ42 2306(1982年09月小山駅にて)
●この日はEF80 49でした。旅客用の暖気暖房装置を持たず、スノープローを装備していません。
スハ42 2129(1982年09月小山駅にて) スユニ60 2013(1982年09月小山駅にて)
●上のスハ42の外観です。ドアが木製になっている以外スハ40に見違えてしまいます。屋根が木製のスハ42は希少な存在でした。
●水戸線の特色としてスユニ60(61)を連結するところですが、1982年11月改正で消えるのが確実で他地区と違いスユニ50に置き換わることはありませんでした。
スハフ42 2071小山駅 走り去る2725列車
スハフ42 2071(1982年09月小山駅にて) 走り去る2725列車(1982年09月小山駅にて)
●スハフ42 2071は1985年03月まで水戸区に配置され常磐線で活躍しましたが、1986年07月にEF55復活時に抜擢され、のちにJR東日本に継承されます。
●JR東日本に継承された後にJR北海道に渡りましたが、現在は保存こそされているようですが除籍されています。

水戸線には上記以外に存在した旧型客車列車は
2721列車:小山05時54分→勝田07時40分
2727列車:小山20時27分→水戸22時07分
2726列車:水戸18時18分→小山20時00分
2728列車:勝田20時54分→小山22時59分
(共に1980年10月改正)
4本がありました。

2341列車

水戸16時37分→常陸大子18時22分(1980.10改正)。

水郡線の客車列車です。通勤時間帯の輸送力列車としてローカル線でも客車列車が残されていました。

2341列車水戸駅 オハフ45 2202水戸
2341列車(1983年03月水戸駅にて) 2341列車 オハフ45 2202(1983年03月水戸駅にて)
●オハフ45 2202は1982年11月改正後に尾久から水戸へ転属してきました。
2341列車野上原駅 2341列車野上原駅

2341列車(1983年03月野上原駅にて)

2341列車(1983年03月野上原駅にて)
●客車から降りて線路を歩く女性・・・ 昭和の時代では、のどかな風景が見られていました。
2341列車瓜連
2341列車(1983年03月瓜連駅にて)
●瓜連駅にて交換のため小休止。この先は日没になり、記録は残っていません。

水郡線の客車列車はこの他に

2343列車:水戸18時18分→常陸大子19時57分
2342列車:常陸大子05時51分→水戸07時31分
2521列車:水戸06時09分→常陸太田06時55分
2522列車:常陸太田07時07分→水戸07時53分
(共に1982年11月改正) の4本がありました。
水戸〜常陸大子の客車列車の数が合わないのは、前日に2本別々の列車を翌朝1本にまとめるためです。2342列車は9両編成でした。

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